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JR東海CMで、そうだ京都に行こう! 『平安時代 ここでなくてはいけないとわざわざ場所を選んで造られた』と案内された場所 旅の始まりは、美しい紅葉を愛でる為ここに造られたその善峯寺から。 |
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JR向日町駅からタクシーで善峯寺へ |
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2007年6月26日、Mの高血圧の不安をかかえながら出発する。最近数ヶ月そして5月の中国旅行中も血圧が高止まりして不眠が続き体調はよくなく、血圧計を持っての旅行だ。 東京駅から新幹線で京都駅へ、東海道線 普通電車に乗換えて向日町駅へ。駅前からタクシーにのる。 善峰寺はJR西日本のCMに登場した紅葉の名所だが、あいにく空はどんより曇り空。タクシー運転手さんは、このどんよりな空は中国から舞い込んで来ている黄砂の影響ですと話していた。車は田園風景の中を抜けて山に向かい坂を登って行くと間もなく山門が見えてきた。向町から30分くらいで西国二十番札所・善峰寺に着く。 |
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タクシーを降りると目の前に大きな山門がそびえて立っていた。門を見上げながら境内に入る。善峰寺は五代将軍 綱吉の生母「桂昌院」(京都生まれ)と深くかかわっていて、現在残る堂宇のほとんどが桂昌院の寄進である。 桂昌院は藤原家に仕えた後将軍家の侍女となり徳川家光の寵愛を受けて綱吉を生み、将軍の生母として大奥に生き79歳で没した後、徳川家菩提の芝・増上寺に葬られている。 |
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本堂左手の石段を上がったところに天然記念物の「遊龍の松」があり桂昌院お手植えと伝えられる見事なもので横枝は21bも伸びていて枝のうねる様子は龍が遊ぶ姿はこんなものかと連想させる。 |
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天然記念物・桂昌院お手植 遊龍の松 |
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本尊の千手千眼観音は後朱雀帝が鷲尾寺から移したものでそれを祀る善峰寺本堂は元禄五年(1692年)桂昌院により再建されたもの。 楼門の横にある鐘楼と鐘も桂昌院が将軍綱吉の厄除けを祈願して寄進建造されたものだという。 |
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奥の院 |
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奥の院 先から京都の市街だろうか遠くに街の風景が白く霞がかって見えていた。 |
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広大な寺内を散策してお参りした後 帰りは山門下から路線バスで向日町駅に戻り電車で京都へ。 |
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京都駅のデパート地下でお昼のお弁当を買ってタンゴ鉄道に乗る。 列車はところどころの名所を通過する際に車内放送で案内をしてくれる のどかは雰囲気な電車だった。 |
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京都駅・天橋立へ |
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午後2時ごろ天橋立駅に到着。 歩いて行けるくらいの場所だったが宿の送迎があってバスに案内され乗せてもらい『文殊荘』へ。 |
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JR天橋立駅 |
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文殊荘は2階建て和風の宿で落ち着いていい感じだ。部屋は一階で木のテラス付き。 庭にそのまま出られて、前は運河で時々観光船や釣り船が行き交うのが眺められる |
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天橋立『文殊荘』 | |||||||||||||||||||||||
部屋で休憩した後、庭から下駄を履いて運河沿いの小道を散歩にでる。運河にかかる橋を渡ると直ぐ天橋立の砂浜と松林でに入り、その先に松林の間に天橋立が続いていた。とても静かで厳かな雰囲気。 |
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天橋立の砂浜と松林 | |||||||||||||||||||||||
天橋立は日本の道100選 | |||||||||||||||||||||||
砂浜を歩いた後近くにある『文殊の知恵』の智恩寺に行ってみる。 知恵が授かりますよう祈って帰りは土産物店の並ぶ参道から運河に出てる。 |
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天橋立『文殊荘』 | |||||||||||||||||||||||
運河沿いの宿に戻り持参の血圧計でMの血圧を計ると、上160--下90台とやや高め、しばらく間をおいて計ると今度は140--80台に下がり少しほっとする。 血圧というのは本当に気ままなもので振り回されるので、一喜一憂していては付き合いきれない。 川風を受けながら木のテラスに腰掛ると、観光船や漁船がたまに行き交い風情がありとてものんびりできる。 お風呂は特に特徴もなく露天と大浴場の2つ |
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天橋立『文殊荘』 |
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夕食は6時から部屋でいただく。 海が近いので魚が新鮮で運河を眺めながらの食事はとても贅沢な気分にしてくれる。 |
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大きな焼き牡蠣 |
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天橋立『文殊荘』朝食 |
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今日は舞鶴の二十九番松尾寺と股のぞきで有名な成相山に行く為、早起きして朝食後電車で宮津へ向かう |
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宮津駅前のニホンレンタカーで車を借りて最初の目的地松尾寺へ向かう。途中、戦後大陸から苦難を乗り越えたくさんの引揚者を乗せして帰還し”岸壁の母”でも知られるた舞鶴港による。 |
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岸壁の母・舞鶴港 |
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舞鶴港から丹後街道をしばらく走り山道に入り松尾寺下の駐車場につく。 |
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松尾寺下の駐車場 |
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西国札所には大寺が多いがここは舞鶴郊外の青葉山中腹の不便な場所にあるので参拝客も少なく、ひなびた古寺だった。 |
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西国29番札所松尾寺 |
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本尊は馬頭を頭上に載せた珍しい馬頭観音。 |
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本堂で納経帖に記帳してもらい、売店で幸せ・不幸せ―極楽・地獄の分かれ道の書かれた戒めの書を買って、駐車場に戻り山を下る。 帰りは山の参堂を下り国道に出て若狭湾を右に見ながら、朝来た道を宮津に戻る。そこから天橋立左岸を走って丹後半島の根元、西国札所最北端に位置する成相山・成相寺へ向かう。 |
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成相寺には自称日本一の景観と書かれた大看板があり山頂の展望台まであがってみる。 日本一の大パノラマの石碑があり、山頂からは海の上に松林が道のように続いているように見え日本一かどうか判断できないが確かに天橋立を眺めるには格好の大展望台だった。 |
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展望台から坂道を下り成相寺駐車場に車を置いて境内に入る。 この寺は天橋立の展望も楽しめ参拝客以外に観光客も多く賑やかだった。 本堂に続く石段途中には悲話の言伝えによると、撞くたびに不幸で亡くなった乳呑児の悲しい泣声が響く為撞かなくなったという『撞かずの鐘』がある。 |
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成相寺のお参りを終えて、宮津駅に戻り車を返した後、電車で天橋立の宿に帰る。 |
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天橋立『文殊荘』ロビー |
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今日も又、お風呂に入りテラスの長椅子でのんびり外を眺めながら夕食までの時間を過ごす。 |
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『文殊荘』夕食は昨日とメニューを変えてくれたが、今日も日本海の海の幸中心でとても美味しかった。 |
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今日は今回最後の巡拝となる亀岡市にある二十一番穴太寺から京都をまわって帰る予定。 朝Mは血圧を測る、上が160台とまた高い。 朝食後落ち着いて又計ると130台に下がっていて上下の変動が大きい。 8時半 天橋立『文殊荘』をチェックアウトして天橋立駅まで歩く 9:01のはしだて号に乗り亀岡まで行く。 亀岡駅前からバスに乗って西国21番穴太寺へ。 札所寺はたいてい山の中か、木立に囲まれた所が中が多いのだがこの寺は珍しく広々した田んぼのまん中に鎮座している。 |
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穴太寺は文武天皇の勅命で造られたのが705年というとても長い歴史を持つ古い寺だ。山門をくぐり広い境内の正面に本堂があり、本尊聖観音と薬師如来が安置されている。本堂右手が納経所になっていて納経を受けつけている。 |
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おまいりして記帳をしていただき、田んぼ道をバス停まで歩く。バスで亀岡に戻り電車に乗り馬堀駅へ向かう。この駅は名物トロッコ電車の最寄り駅だ。 |
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JR馬堀駅 |
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馬堀からは田園風景の中を約10分くらい歩いてトロッコ駅に着く。発車時刻まで待合室で周りの景色をみながらぼんやりと待つ。 |
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トロッコ列車 |
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トロッコ亀岡駅で折り返し運転 |
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トロッコ列車は来る前に旅行会社で予約してきたのだがシーズンオフでもあり駅も車内も閑散としていた。 |
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トロッコ列車は保津峡に沿って走り、ガラスもなく開けっ放しの窓からは保津峡の川風がとても気持ちがいい。 |
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途中のトロッコ保津峡駅 |
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約25分でトロッコ嵯峨駅に到着。 駅前から住宅街を抜けて嵐山にでる。 |
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6月の終わりに近く京都の蒸し暑さには特別だ。 冬は寒く夏暑く、都があった土地とはいえけっして住み易い場所とはいえないと思った。 |
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渡月橋から大河内荘〜常寂光寺〜祇王寺〜あだし野念仏寺と歩く。 どの寺も歴史の舞台に登場するものばかりでガイドブックを見ながら歩くとついつい修学旅行気分になってくる。 |
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嵯峨野らしい竹林の道。 |
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丹下左善の大河内伝次郎の山荘。 |
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あだし野念仏寺へ。 |
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あだし野念仏寺参道 |
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あだし野念仏寺 |
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あだし野念仏寺の裏手、竹林の先は一般墓地だった。 |
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六面六体地蔵さま |
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あだし野念仏寺から嵯峨野の住宅街を歩きながら、最後に瀬戸内寂聴さん『寂庵』を見て帰路に着く。 |
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瀬戸内寂聴さん『寂庵』 |
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JR嵯峨嵐山に戻り電車で京都へ。京都駅から17:35分新幹線ひかり号で帰京する。 |
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